台湾で起業した人のキッカケを知りたい人のために、台湾で起業した人をインタビューする企画をこのブログ内で始めます。
にゃも
今回は、台中の老舗串焼きバー居酒屋神楽を経営する齋藤洋一郎さんについて数回に分けてご紹介したいと思います。
Vol.1 – 台湾移住編
にゃも
そもそも台湾に移住したきっかけは何ですか?
齋藤さん
26歳の頃、プログラマーシステムエンジニアの仕事をしていて、台湾での開発案件で台北に来ました。
台湾での仕事の期間は1年半年くらいでしょうか。台湾に住んで仕事を続ける中で、仕事の向き合い方や取り組み方に違和感を感じることが増えました。
にゃも
違和感とは?
齋藤さん
私は日本でもエンジニアとして働いていたので、日本のやり方、台湾のやり方、どちらも見比べることができました。そして「今はまだ日本の方が勝ってるけど、近い将来、いずれ台湾が日本に勝つ」と思ったのが、台湾移住を真剣に考えた大きなキッカケです。
にゃも
確かに日本人ってどこかでアジアの他の国を下に見ている人が居ますけど、年々その差は縮まっていますし、分野によってはシンガポール、香港、韓国、台湾に抜かれているのも多いのが現在ですよね。
齋藤さん
台湾でのシステム案件が終了して日本に帰国しました。その後、エンジニアの仕事を続けながら台湾に旅行で訪れるというのが数年続きました。ますます成長する台湾。いずれ日本が台湾に追い抜かされる日々が来るだろうな…という確信は全く変わりませんでした。
移住そして、度重なる失敗
齋藤さん
一方で、お酒が好きで、プログラマーエンジニアの仕事辞めて、好きなお酒関連の仕事をしたいなと思うようになり、「どうせ、職も変えるなら、台湾に移住してしまおう」と思って決めました。
にゃも
それは思い切った決断をされましたね!最初から起業して今の居酒屋を開業をされたのですか?
齋藤さん
いえ、最初はサラリーマンとして働き始めました。友人の紹介で台湾のオリオンビール総輸入代理店の社長(神楽の礎となる技術を学ばせてもらった大恩人となる方)が経営するバーでバイトとしてスタートしました。
齋藤さん
ちなみに当時のバイト代は月に25,000元。日本での収入の10分の1くらいからスタートです。その後、バイトを辞めて、台北でハンバーガーカフェバーを共同経営するも大失敗。今思えば、あらゆる面において素人過ぎました。今思えば失敗して当然です。笑
にゃも
「失敗は必然、成功は偶然」という言葉がピッタリの状況だったということですね。
齋藤さん
失敗してお店を畳んだ後、日本に帰国はしませんでした。台湾移住を決めていたからです。友人の紹介で、台湾のソフトウェアメーカーに入社して、日本市場向けマーケティングの仕事で収入を得ました。
齋藤さん
その仕事を続けて2年くらい経った頃、オリオンビール台湾総輸入代理店の社長から「うちで働くか?」と声をかけてもらいました。もともと酒関連、特にビール関連の仕事をしたかった私は喜んで転職しました。
齋藤さん
毎日が学びの連続。勉強したいことが毎日学べる環境。生ビールサーバーの洗浄メンテナンス設置修理、百店舗以上の導入先の店舗で、生ビールの味や品質に与える影響が何なのか、その原因をトラブルシューティング。
齋藤さん
沖縄の工場にて、生ビールの味に影響を与える要素、その理由などを工場長さんや開発者の方と直接質疑応答させてもらったりしました。また、沖縄の導入店での実地研修もやらせてもらえる機会に恵まれました。この会社での五年間の経験が今の居酒屋神楽の生ビールからカクテルまで全てのお酒が美味しい技術の素地になってます。
にゃも
その後、その仕事を退職して自身の居酒屋を開業されたのですか?
齋藤さん
そうなんです!もともと居酒屋神楽はオリオンビール時代にオリオンビールの取り扱いをしていただいた店なんです。日本人オーナーが物件を売りたいということを私に話してくれて、居抜きで購入しました。2017年の9月に開店しました。