海外で生活をしたり、仕事をしていると
そんな風に思ったことはありませんか。
どうして中国人は謝らないのか
✔︎少しでも弱みを見せることは、弱みにつけこもうとする相手にすきを見せること
✔︎罪を認めることは敗北を意味する
✔︎謝罪することで、家族やコミュニティーに影響が出る可能性がある
戦いや侵略の歴史の中で培われた、DNAに刷り込まれている防衛本能。
— にゃも@台湾住み🇹🇼海外に出る人全力応援📣 (@Shohei192) 2018年11月16日
このように文化的・歴史的背景によって行動を分析することができます。
では、なぜ日本人は謝るのでしょう?
また、日本では、どうして以下のようなことが起こるのでしょう。
- メールに「お疲れ様です」「お世話になっております」「どうぞよろしくお願いいたします」
- 先輩に対しての敬語
- 空気を読め
これらの事はすべて「世間」という概念からきています。
本記事ではまず、日本人の謝罪ということにスポットライトをあてて、それから「世間」と日本人について深掘りしていきます。
見たい場所へジャンプ
何よりも謝罪を求める日本人
メディアを見ればわかると思いますが、
安田純平氏の会見に「謝罪を求める日本社会は異常」「自己責任論は極右の思想」と欧米メディア特派員~◆政府の情報だけに頼ることの危険性を日本人は忘れたのか◆記者の解放を、国を挙げて喜んだフランス。謝罪を求めた日本 最後に日本人へのメッセージ
https://t.co/nQnRiUj7XA— KAZUKO (@PeriKazuko) 2018年11月16日
日本人は間違いを犯したときに謝罪することを期待しています。
これは世間の仕業なのです。
日本には「世間」という共通概念があります。
- 「世間知らず」
- 「世間が狭い」
- 「世間体」
参考:【世間】慣用句一覧
世間の掟を破った人には「はずす」と「ゆるす」という2つの選択肢が与えられます。
「世間」という日本人共通の概念の中で、「誰かに迷惑をかけた行動」は、周りからはずされないために、許しをこうというのがDNAレベルでインプットされているのです。
そうでないと、その人の所属しているコミュニティが「村八分」にあったり、「連帯責任」が問われてしまうから、「ゆるす」をこうのはとても重要なことなのです。
だから現代社会においても犯罪とは直接関係のない親が出てきて、メディアの前に出て謝罪をします。世間はこれを連帯責任という観点で、謝罪を見て村八分にするのをやめ、許すのです。
そのため、世間にハブられないために日本人はすぐに謝るし、相手にもそれを強要しています。
世間のルール
- 「お返し」が何よりも大事
- 身分制度
- 常に共通認識を確かめ合う
1.「お返し」が何よりも大事
世間の絶対的なルールはお返しです。
✔お中元・お歳暮
✔年賀状
✔メール
日本人は「お返し」をすぐしないと気が済みません。それは、世間というルールでお返しが大事であると学んできたからです。
だから、誰かにおごってもらったときも何かしらでお返しをしたくなるのが日本人の性分なのです。
2.身分制度
日本には身分制度が色濃く残っています。それは「肩書き」と「年齢」。
日本では肩書きがふわふわしていると相手を不安に落とし入れることになりますw
✔アフィリエイターです
✔フリーランスです
✔今は仕事をしていません
これらは、異質として扱かわれます。きっと上記に当てはまる人は過去に異質な人として扱われた経験があるはずです。
それよりも
✔サラリーマンとして勤めています
✔大学生です
✔主婦でパートしています
このように答えるとあっさり受け入れられるのが日本の特徵です。
ちなみに海外だと肩書きなんてどうでもよいので、簡単に受け入れてもらえます。
また、年齢による身分制度も依然として健在しています。
海外(カナダ)で、歳下に思われてたらしく、割と偉そうな態度をとられた。
彼が何度か「海外来ても、日本人同士の敬語はしっかりしよーな!」
と、言っていたので歳上だと明かすと、態度が急変。
きっと彼の歩んできた人生は部活とかで、先輩から同じことをやられてきたんだろうなぁと、思う。
— にゃも@台湾住み🇹🇼海外に出る人全力応援📣 (@Shohei192) 2018年11月16日
つまり、年長者の方が身分が高いという当たり前の共通認識が日本にはあります。
年功序列で給与があがっていくのが当たり前なのはこのためです。
3.常に共通認識を確かめあう
メールに頻出する「お疲れ様です」「お世話になっております」「どうぞよろしくお願いいたします」は、同じ空間(世間)にいることを確認するための作業です。
「世間話」もお互いの共通認識のすり合わせのために行われています。
先にも書いたように、「世間」から排除されるのを防ぐために常日頃から世間に認められる行動を行っているのが日本人なのである。
世間にルールがたくさんあってストレスが溜まる
日本人がお酒を飲むと泣いたり暴れたりすることが多く、海外でそれを見かけないのは「世間」という細かいルールで縛られているため、ストレスが溜まっているのです。
お酒の席では無礼講が許され、世間というワードから開放されます。
仕事の場でもお互い様という精神が働き、お互いの仕事を助け合う。これは基本的に海外ではありえないこと。
もちろん、長期休暇をとって休みをとった際には、「ゆるし」を得なければならず、ご迷惑をおかけしましたと言ったり、お土産を配る行為が発生するのである。
他の国のいい例としてマダムペロンさんのブログは、ぜひ読んで欲しいです。日本人の「世間」がどれだけ機能していないかが一発でわかりますw
海外に出るとなぜ気楽なのか
海外旅行がなぜ開放感にあふれているかと言うと「世間」からの開放である。海外在住の人も、なぜ海外に住むのか考えてみると、これが上位に来るのではないだろうか。
ぼく自身、日本では異端児として扱われるため、海外にいた方が「世間」の目を気にしなくて済むし、なにより、世間というフィルターで自分をジャッジされないのが気持ちのよい。
よって、日本でちょっと変わり者という部類に入っている人は一回海外にでることを強くおすすめしますw
だけど、海外で世間のしがらみから開放されると、町中で下品な言葉を使ったり、外国人に対して無礼な扱いをするのも日本人の特徵。
なお、海外に来ても世間を気にする人達はその限りではない。
まとめ
世間は日本人にとってはきってもきれない関係であり、小さい頃からの家庭の教育、学校教育で身につけさせられるので、日本にいる間はその存在に気付きもしない。
最近は、グローバル化や海外に行って疑問を持った人達がその当たり前の世間に疑問を感じ、問題を提起している。
しかし、排他的な日本の環境にどっぷり使っているとこの世間というものがいかに不思議な文化であるか気づくのは非常に難しい。