✔どうして海外に出たの?
✔どうして英語ができるようになったの?
✔海外でどんな経験をしているの?
それらを伝えたいために始めた企画、今回が第2弾になります。
第1弾はこちら。
【なぜ海外】18歳からマレーシアで働くさおりさん海外のマレーシアで働いて、現在はクルーズ船で働いているさおりさん。海外に18歳で飛び出して、様々なキャリアを色んな国で積み上げています。今後、海外に出てみたい方はこの人の生き方から参考になることがあります。...
にゃも
今回は、24歳という若さで台湾の台北で活躍する北海道出身の女性
こんちゃんを取材しました。紹介してくださった
ちづみさんには感謝です。最後に
台湾就職に関する募集も書いてあるのでぜひ最後まで呼んでください。
海外や英語に興味を持ったきっかけとは
台北駐在女性こんちゃん
にゃも
では、早速聞いていきます。まず、海外や英語に興味を持った理由を聞かせてください。
こんちゃん
きっかけは、高校生のときの進路選択でした。高校は北海道の単位制の普通科に通っていたんです。大学に入って何をしたいかと考えたとき頭によぎったのは英語でした。
子どもの頃から通っていた週一の英語教室(全く勉強しなかったけど)がきっかけだったかな。高校生のときに英語の映画・ドラマを見て、洋楽を聞いて漠然の英語や海外に憧れがありました。
にゃも
なるほどね~。ぼくは高校生の頃、アニメとアニソンが大好きだったから、海外を舞台にしたアニメがあったら興味持っていたかもなぁ~。笑
それで、どんなアクションを起こしたの?
こんちゃん
「英語頑張ってみよう!」と、思って英語の勉強を始めたんです。だけど、英語のテストの点数はとっても悪かった・・・。
その悔しさをバネにして教科書を食い入るように読みました。結果、勉強する→いい点数が取れるのサイクルができて、英語ができるようになりました。
にゃも
素晴らしい。英語が伸びたって実感するのって結構大変だと思う。勉強したんだねぇ~。
こんちゃん
いえいえ、元が悪すぎたんです。笑 だけど、ここらへんで英語勉強の異変に気付いたんです。
こんちゃん
大好きな映画やドラマが全くわからないし、しゃべろうとしても単語が1個も出てこないんです。このとき、危機感を感じてしゃべれるようになるにはどうすればいいのか調べました。
そこでその当時、頭に思い浮かんだのは「留学」でした。留学に力をいれている大学を調べたところ、小樽商科大学が留学支援を行っていたので目標の大学となりました。英語の成績がよかったこともあって、大学には推薦で入学できました。
にゃも
行動力すごいなぁ・・・。ぼくはその歳のときは、友達とゲームすることがすべてだったのに。
※修学旅行にドリームキャストを持っていっていた。苦笑
交換留学を目指して大学で奮闘
こんちゃん
頭の中には留学しかありませんでした。もう一心不乱に勉強しましたね。学校の成績がよくないと留学プログラムに応募できないので必死でした。そして、学校の短期留学プログラムを利用して初めての海外が実現しました。
初の短期留学。ニュージーランドへ
こんちゃん
ニュージーランドのオタゴってところに行きました。英語の面から言うと・・・フルボッコにされましたw
こんちゃん
当時、英語の成績がよかったので、
英語ができると思っていたんですよ。だけど、ホストマザーが言っていることが全くわからなかった。。。
そして、日本のことについてたくさん聞かれたんだけど、全然答えられなかった。英語力もさることながら、日本に関する知識が全くないことに気付かされた。あと、すごくカルチャーショックを受けたのを覚えてる。
こんちゃん
ニュージーランドには時間がなかった。待ち合わせするときも時間を決めずに「じゃあ、夕方ね~。」みたいな事が度々あった。
語学学校に通っていたんだけど、そこに来ていた韓国人やサウジアラビアの人たちの留学の理由が自分と全く違っていて・・・。世界は広いって思いました。一番の心残りは、ホストファミリーに抹茶を振る舞ったときに・・・
こんちゃん
って聞かれてまったく答えられなかったこと。笑 悔しかったなぁ・・・。
にゃも
それはわかるなぁ。ぼくも海外に出てから、福島原発の話とか、安倍晋三の政治の話とか、捕鯨問題とか、パールハーバー、沖ノ鳥島問題、尖閣諸島問題、竹島問題のこととかを聞かれるので、よく勉強するようになったよ・・・。
こんちゃん
だけど、実はこの頃本当に大きな問題を抱えていたの。大学の男子バスケ部のマネージャーをやっていたのだけど、英語の勉強と両立ができないようになってきてて・・・。どっちも諦めたくなくて。。。それをホストマザーに相談したら・・
ホストマザー
人は全部やることはできないの。あなたがやりたいと思った事をやりなさい。若いんだから、大丈夫。
こんちゃん
ゆっくりと、強い言葉で話しかけてくれた。その頃の英語では完全には聞き取れていなかったんだけど、概ねそんな感じのことを言われて泣いちゃったの。だけど、それで振り切れた。
こんちゃん
日本に帰ってすぐマネージャーをやめた。けど、辞める条件として必ず留学するということも伝えた。だから、学校の交換留学生のプログラムに応募できるうようまた英語の勉強の日々が始まったの。
夢に見ていたアメリカに留学
アメリカに留学したこんちゃん。当時の写真。
こんちゃん
うん。それで、ついに応募する時期になってアメリカ、イギリス、中国、ニュージーランド、オーストリア(ウィーン)の中から選ぶことになったの。成績のいい順番に行きたい国を選べる。
にゃも
行先は・・・?多分色々選択肢があったと思うんだけど。
こんちゃん
第一志望はアメリカ。その頃は、英語のミュージカルにハマってて、「スーツ」を見てた。ドラマのフルハウスも好きだったし、スパイ系の映画も大好きだった。
こんちゃん
交換留学なので大学の授業料を払っていれば、上乗せされる金額はありませんでした。
だけど、留学先の生活費は奨学金を応募しました。審査を通って200万くらい返済不要の奨学金を頂いたことは本当にありがたかったです・・・。おかげで留学生活を楽しむことができました。
アメリカ留学生活は前途多難だった
にゃも
ついに夢のアメリカ大学生活。大学生活はどうだったの?
こんちゃん
授業が難しすぎていっぱいいっぱい泣きました。交換留学なので、他のアメリカ人と一緒の授業を受けるんです。だけど、先生が言ってること全くわからなくて。宿題もどこをやるべきかすらもわからなくて・・・本当にわからないことづくめでした。
にゃも
それは辛いね・・・。ぼくも英語全くしゃべれないのに現地の会社で働いて全くわからなかったから、その焦りみたいな気持ち超わかる。
https://nyamo.life/archives/office-work-without-english-capability.html
こんちゃん
授業も難しいし、エッセイも書けないし、プレゼンテーションも難しかった・・・。アジア人は私だけで、英語の能力が突出して低かったので、プレゼンしたとき微妙な雰囲気がつらかった。なんかバカにされているというか、あの子がんばってるねwみたいな感じが耐えられなかった。
にゃも
それは辛かったね・・・。辛かったと思うけど、そこで起こしたアクションって何?
こんちゃん
ひたすら勉強することでした。学校終わったら図書館にこもってひたすら勉強。だけど、半年この生活を続けていたら、英語を読むスピードが2倍になった。
だけど、それでもテストのときな1人だけ別室で2時間受けさせられた。時間内に英語を読むことすらできなかったから特別に配慮してくれた結果なんだけど、悔しかったなぁー・・・。
こんちゃん
うん、だけど、授業でも「あ、意外にみんなとんちんかんなこと言ってるな」とわかったときは気が楽になった。
それからは自分も気にせず発言するようになった。
日本みたいに意見を言った人に対して嘲笑するような雰囲気は全くないし、意見したことは先生がちゃんと答えてくれるし、逆に何も意見言わないと、「この子、大丈夫かな?」って雰囲気があった。
アメリカのルームメイトたちと過ごした時間
こんちゃん
学生寮での女子会。笑 ローカルアメリカンたちと同じ部屋だったんだけど、色んな話をした。友達がバイセクシュアルになった話。実は歌手になりたいってこと。将来は家の事業を継がなっきゃいけないけど、やりたくない・・・とか。みんないろんな事で悩んでいて、それをフラットに話すのが楽しかった。
こんちゃん
その中でも一番の私が熱くなったのはマリファナブラウニー問題。笑
日本の学校でドラッグはやっちゃいけないって勉強するじゃない。だから、マリファナやっているルームメイトが信じられなかったの?バカだなぁと思って見下してた。だけど、どうやって手に入るの?って聞いたら、「Amazonで手に入るよ。」って。衝撃でした。
こんちゃん
だけど、やっぱり日本のドラッグ教育の影響でどうしても許せなくて、その子を説得したの。
だけど、カリフォルニアではマリファナは合法。その子から、日本のお酒の消費量とかお酒によって亡くなっている人の人数、依存度を説明されてぐうのねもでなかった。笑 この議論では私の主張は勝てないって・・・笑
にゃも
1年間の留学期間英語だけでなく、異文化交流も十分にしたんだね。それで、日本に帰ってからはどうしたの?
日本に帰って就職活動
こんちゃん
日本に帰ったらすぐに就職活動をしなきゃいけなくて、すぐに始めようとしたの。だけど、ふと、大学院で勉強したいなぁ・・・と、思うようになって。労働心理学を大学院で勉強したいってお父さんに打ち明けたの。
だけど、「新卒で入社できるのは今だけだからとりあえず就職してみたらどう?」と言われて納得したので就職活動を再開しました。
こんちゃん
お父さんは銀行で働いて欲しかったみたいだけど全然興味なかったから、外資・コンサル・・・後は、ANAにも受けた。
だけど、ピンとこなかったんです。。。そこで、ベンチャーの説明会に参加しに行ったんです。だけど、ベンチャーの説明会に行っても仕事のイメージが全くわかなくて。笑 どういう仕事ですかって聞くと、Web関係は何でもします!って。
にゃも
たしかに。Web系ベンチャーであれば言葉通りなんでもしそう。苦笑 だけど、就活生にとってはイメージわかないよね。笑
こんちゃん
うん。
エンカレッジという就活応援サービスを利用していて、やっと自分の仕事をイメージできたのが今の会社だったんです。
こんちゃん
役員が出てきた二次面接で「海外に行きたい!」ってハッキリ伝えました。色んな国の人と働いて、それを統括するマネージャーになりたいって。アメリカの学生寮の経験で、多国籍でバラバラな意見を1つの意見にまとめることに喜びを感じたから、将来はそういうことがしたいって思ってたの。そうしたら・・・
こんちゃん
タイですか!?
その頃、タイについて何にも知らず、むしろ、ガンジス川をイメージしていました。インドとタイの違いすらわからなかったんですね。今となっては恥ずかしいけど。それですぐにそのベンチャーのタイのインターンシッププログラムに参加するように言われました。
タイへのインターンシップ。そして・・・
こんちゃん
はい。翌週から行くように言われたのですが、バイトのシフトが入ってて。笑 だけど、本当にすぐにタイに飛びました。今となってわかったのですが、それは作戦だったんですよね。日本に居ると、他の会社を受けてしまうからタイでインターンシップさせて他の企業を受けさせてないようにすると。笑 当時は全く気付きませんでした。
こんちゃん
タイにいる日系企業に行って広告を受注する仕事です。日系企業だったのですが、タイ人もいるので、説明は基本的に全て英語。そのとき確信しました。あ、ここなら私、成長できるって。それですぐに入社することに決めました。
にゃも
なるほどね。素晴らしいね。だけど、それだと今タイにいるはずじゃ・・・・。
こんちゃん
そうなんです。実は、入社してすぐにタイに行く準備をしていたときにタイ支社が潰れてしまって・・・。
赤字続きだったそうなんです。そこで上司に「今後どうすればいいんですか?」って聞いたところとりあえず、海外勤務希望者の枠に応募して筆記試験を受けて下さいって言われました。実は、これで海外行けなかったら大学院に行こうと思っていました。それが運命かなって。
台湾支店と面接
こんちゃん
そして、台湾支社の人と面接することになったんですね。どうやら台湾では新卒じゃなくて、即戦力が欲しかったみたいなんですが・・・。面接始めて3分後に・・・
こんちゃん
それを聞いて、行ったことないけど行きます!って答えて台湾に来ました。その人のお蔭で今台湾に勤務して1年半が経ち、毎日楽しく過ごしています。
こんちゃん
今後は自分の思うことを発信して私より若い人たちにメッセージを届けたいです。あと、具体的には言えないですけど、自分がやってワクワクするような仕事をしたいですね。
にゃも
ワクワクしたい仕事ってすごい気持ちわかる。これからも台北でどんどん活躍してください!本日はありがとうございました。
にゃも
2018年12月16日現在MicroAdでは新しいスタッフを募集中。経験はなくてもやる気があって、チームで協力して仕事をしていける人を探しています。(業務は日本語です)
台湾就業のビザサポートも行っているので、日本からでも応募できます。興味がある方はぜひぼくにDMしてください。担当者へ繋ぎます。
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