海外で働く

【なぜ海外】18歳からマレーシアで働くさおりさん

にゃも
にゃも
今回、実際に海外で働いているさおりさんにインタビューをしました。

 

何がきっかけで海外に出たのか?どんな人生を歩んだのか。」を深堀りしたので、今後、海外に飛び出して見たい方必見の内容になっています

 

ゲストのさおりさん。

出身である熊本の高校卒業後、18歳でマレーシアに飛び立ち、海外を転々とする。語学が堪能で、現在はアメリカ資本のクルーズ船内で働いている。2018年は1年のほとんどを地中海周辺の船内で過ごす。仕事の契約期間は約5-8ヶ月 (休暇 約6-12週間)。休暇を利用して中国語を上達させようと、台湾の逢甲(ホンジャー)大学に語学留学のため、来台。

 

にゃも
にゃも
英語の発音はBritishアクセント。とても聞き心地がよかったです。短期留学なのに、中国語が上達していてぼくの嫁と中国語で会話していました。
中国語でコミュニケーションする2人

 

今回のインタビュー構成は以下の通りです。

  1. 海外(英語)に興味をもったきっかけ
  2. 海外に出てからの経歴
  3. これからの夢
  4. クルーズ船の仕事を探す応募サイトの紹介

海外(英語)に興味をもったきっかけ

にゃも
にゃも
18歳高校卒業後すぐにマレーシアに行ったって聞いて驚いたんだけど、そもそも何がきっかけで海外に興味を持つようになったの?しかもマレーシアを選んだのはなんで?

 

さおりさん
さおりさん
  一番最初のきっかけは小学校のときの英会話教室なんです。
英会話教室のおかげで、英語が好きになりました!

 

にゃも
にゃも
そうなんだ。だけど、その頃は英語って小学校の義務教育に英会話教室って含まれてなかったよね。

 

さおりさん
さおりさん
含まれていないですね。全然英語に興味なかったんだけど、親に言われて通ってたんです。英語の授業は全く聞いていなかったんですけど、授業以外の英語のゲームがとっても面白くて。サイコロゲームとか体を使った遊びとか、ハロウィンパーティーとか・・・。自然と「英語=楽しい」脳内で変換されるようになったんですよね。

 

にゃも
にゃも
なるほどね~。じゃあ、英語は得意教科になったんだ。

 

さおりさん
さおりさん
そうです!英語の点数はよかったので、もっと英語を勉強したかったのだけど、中学生からは家庭教師をつけられて、全科目勉強させられました・・・。
あんまり勉強が好きでなかったことを振り返るさおりさん
さおりさん
さおりさん
家庭教師の横で爆睡していたので、今となっては悪いことしたなと思います。(苦笑)

 

にゃも
にゃも
なるほどね~。普通に地元の高校に進学したみたいだけど、英語や身の回りで何か海外に興味を持つきっかけはあったの?

 

さおりさん
さおりさん
高校2年生のときにお父さんが交換留学制度を紹介してくれて、1ヶ月アメリカに行くことになったんです!

初めての海外。アメリカへ

にゃも
にゃも
おー、いいお父さんだね!どこに行ったの?

 

さおりさん
さおりさん
ミシシッピのアーカンソーです

 

にゃも
にゃも
え???どこ?笑

 

さおりさん
さおりさん
わからないですよね。笑 私は当時、カリフォルニアしか知らなかったのでアメリカは全部そういう雰囲気だと思って行ったら・・・超がつくほど田舎でした。

画像引用:ウィキペディア ミシシッピ郡 (アーカンソー州)

 

さおりさん
さおりさん
ホームステイ先にはおじさんとおばさんが居て・・・結局、平日学校にはいかなかったんです。

 

にゃも
にゃも
え?じゃあ、何してたの?

 

さおりさん
さおりさん
おじさんもおばさんもフルタイムで仕事していたので、本当にやることなかったんですよ。笑 だから、縫い物をしたり、学校の冬休みの宿題をやったり、湖を眺めたり、森林を歩いたり・・・。 あ、ウォールマートに行くのが楽しみだった!
アメリカは広かった・・・
にゃも
にゃも
うんうん、なんかイメージ湧いてきた。他には?

 

さおりさん
さおりさん
おじさんが牧師だったので、日曜日に教会に行った。人生で始めて宗教に触れたときだった。おばさんが警察署で働いていたので、職場に連れて行ってもらってみんな優しくしてくれたの。

 

にゃも
にゃも
いい体験してるね~。困ったことはなかったの?

 

さおりさん
さおりさん
ご飯が無理だった。。。典型的な小太りのアメリカ人夫婦で3食ともハンバーガー食べるの!KFCの食べ放題も行ったけど、食べる量と食生活がカルチャーショック過ぎて・・・。本当にマッシュポテトに肉!肉!肉!みたいな。笑
毎日あんな料理食べてたら太るでしょ笑
にゃも
にゃも
ぼくも最初カナダ行った時に味わったわ…。和食好き&少食の日本人にとってはキツイよね、あれは。

 

さおりさん
さおりさん
うん。あと、2人の言ってる英語が全くわからなかったの。私はそれまで、英語の成績はすごく良くて、絶対通じると自信満々だったのに、何も伝わらないし、相手の英語もわからなくて目の前が真っ暗になった。だけど、この経験がなかったら、私の勉強方法は変わらなかったから、辛かったけど、この体験はとっても感謝してる。

 

にゃも
にゃも
わかるわ~。ぼくも最初「疲れた」(Tired)を10回言っても伝わらなくて、そもそも発音が根本的に間違ってるって気付かされたから。

マレーシアに行くきっかけ

マレーシアのランドマークのツインタワー
さおりさん
さおりさん
日本に戻って、すぐに勉強法を変えたの。教科書のCDを聞いて、発音頑張って、会話集を全部暗記したの。それで、高校3年生になって、ホームステイで台湾人とマレーシア人を受け入れることになったの。

 

にゃも
にゃも
いいね~。そこで、マレーシアを知ったんだ。

 

さおりさん
さおりさん
うん。それで、校長先生にお願いして、学校にそのマレーシア人を連れて行って、先生に紹介したの。そしたらね、英語の先生が、すっごく緊張した様子で・・・

 

にゃも
にゃも
うん、うん。

 

さおりさん
さおりさん
「こんにちは」って言ったの。それを聞いた瞬間、あぁ、この人の授業聞いていたんじゃ英語はしゃべれるようになれないって思ったの。
大好きな先生だったから余計にショックだった
さおりさん
さおりさん
だけど、この頃はアメリカの経験から考えて、海外に住むのは無理・・・って思ってたの。別に、魅力的じゃなかった。

 

にゃも
にゃも
へぇ~、そこからどうなったの?

 

さおりさん
さおりさん
まず、家が厳しかったから早く家を出たかったの。門限とかあったし…。それで、英語が勉強できて、家から出れる方法を考えて沖縄の大学に進学しようって決めたの。だけど、案の定、お父さんから強く反対されて、ずっと口を聞いてくれない状態だったの。だけど、ある日「英語勉強したいならマレーシアに行ってみれば?」って言ってくれたの。多分、交換留学生の子が居るから全く身寄りのいない沖縄より安心だと思ったんだと思う。
あの頃は頑固だったからお父さんにはちょっと悪いことをしたと思う
にゃも
にゃも
それで、マレーシアの大学に行くことに決めたんだよね?あれ?だけど、大学行ってないよね?

 

さおりさん
さおりさん
うん。マレーシアの大学は9月スタートだったからそれまでに間が空いてたの。親に負担はかけたくなかったから3つバイトを掛け持ちして・・・5月には台湾とマレーシアに行って、交換留学生の子と再会して・・・、特にマレーシアの家族が優しくて、ここに住みたいと思えるくらい好きになったの。あと、日本では経験出来ない異文化や多民族の国にとっても興味を持った。それで、マレーシアに行ったのだけど・・・・

おじの病気。突然の帰国からのオーストラリア

にゃも
にゃも
うん?なにかあったの?

 

さおりさん
さおりさん
おじが病気になって日本に帰らなきゃいけなくなったの。それで日本でバイトをしながら1年くらい生活をしてたんだけど、、、このままじゃいけないって焦りがあったの。その思った当日にオーストラリアのゴールドコースト行きのチケットを取ったの。
私達両方とも勢いでチケットとってる~
にゃも
にゃも
ビザも取る前にチケットとったんだ。笑 なんでゴールドコーストだったの?

 

さおりさん
さおりさん
響きかな…。熊本出身だったし、そのころって留学に関する情報が全然なくて・・・。語学学校1ヶ月分とホームステイ1ヶ月分だけ支払って、20万円だけ握りしめて、すぐにオーストラリアに飛んだの。

 

にゃも
にゃも
さすがの行動力だね。。。それで、オーストラリアでは何をしていたの?

 

さおりさん
さおりさん
香港人が経営するTeppanyakiってお店で働いていたの。それが人生で始めて他の国籍の人と働く経験でとても刺激的だった。だけど、オーストラリアに2年居たかったからラズベリーファームも3ヶ月行ったの。

※オーストラリアでセカンドワーキングホリデービザを取得するには3ヶ月間ファームで働く必要があります。

 

さおりさん
さおりさん
それで、1年経った後、オーストラリアに帰る気満々で熊本に一時帰国したら・・・

 

にゃも
にゃも
うんうん。

 

さおりさん
さおりさん
寿司屋の社長が「中国と韓国に店をオープンしたいから、海外で働かないか?」って誘われて・・・

 

にゃも
にゃも
え?オーストラリアに戻らなかったの?

 

さおりさん
さおりさん
うん。そのまま熊本で寿司屋で働き始めたの。1年間。その頃、21歳だったわ。

 

にゃも
にゃも
あれ、韓国と中国で働くんじゃなかったの?

 

さおりさん
さおりさん
その頃の私はまだ全然経験が足りてなくって、2,3年は日本に働いて、マネージャーとして働けるようにならないと海外に行けなかったの。だけど、この環境で2年も3年も熊本に居たくない!って思って・・・

 

にゃも
にゃも
海外に出たんだ?笑

 

さおりさん
さおりさん
辞めたのはきっかけがあって、会社内で「君、女子力高いね。だけど、この会社では必要ないから。」って言われて、あ、自分が将来なりたい像と違うなって気付いたの。ちょうどその時、オーストラリアのワーホリの時に出会った友達が、人を紹介してくれたの。その人がシンガポールのマリーナベイサンズ内のフレンチレストランで働いてるから来ないかって誘ってくれて、行くことを決めたの。

いざ、シンガポールへ

まさか、シンガポールに行くとは思ってなかった
にゃも
にゃも
お~、よかったね~。それで、そこで働き始めたんだ。

 

さおりさん
さおりさん
それがね、そのオーナーからビジネスビザも取れてるって言われたから、書類も全部用意してシンガポール行ったのに、結局ビザが取れてなかったの。

 

にゃも
にゃも
え~~!!!

 

さおりさん
さおりさん
ビザを再申請するのに数ヶ月かかるからって言われて、シンガポールとマレーシアを往復しながらシンガポールに滞在していたんだけど・・・。

 

にゃも
にゃも
いや、シンガポールの国境そんな簡単にビザランさせてくれなくない?

※ビザラン。観光ビザの期間が切れるため、一旦国外に出て、すぐに元の国にもどってくること

 

さおりさん
さおりさん
そんなこと全然知らなくて、2回目国境を越えたときにすごく厳しく質問されて、次同じことをやったら入国禁止と言われたので、あぁ、もうだめだな・・って思ったの。もう、マレーシアで仕事探すしかないと思って、長距離バスに揺られながら、クアラルンプールを目指したの。

仕事を求めてマレーシアへ

にゃも
にゃも
マレーシアではタイにビザランしてたの?

 

さおりさん
さおりさん
うん、ランカウイ島から船に乗って行ったの。シンガポールと違って全然大丈夫だった。笑 その頃、マレーシアで一番有名なホテルシャングリラホテルに受かったの。人生で始めてちゃんとしたところに働いた。お客さんもトヨタや三井住友、丸紅とか誰もが知っている会社のVIPが来ていたの。

 

にゃも
にゃも
すごいね。チャンスを掴んだんだね~。

画像引用:SHANGRI-LAホテル公式

さおりさん
さおりさん
うん。すっごく嬉しかったんだけど、そこで日本人の女性の先輩が居て、私のこと良く思ってくれなかったの。お客さんの前で怒鳴られることもしばしば。とっても悔しかったし、過呼吸で会社に行くのが本当に辛い時もあった。みんなが日本語わからないのをいい事に「あなた辞めなさいよ。」って他の人の前で言われて、衝撃だった・・・。ボスに他の部署で働くように勧められたけど、同じ場所で働けないなと思って・・・。

 

にゃも
にゃも
辞めて違う会社探したんだ?

 

さおりさん
さおりさん
えっと・・・カンボジアに行きました。爆 その頃ちょうどボランティアやりたいなぁと思ってて、カンボジアでゲストハウスIKIIKIハウスを建てるって話を聞いて参加したの。

 

にゃも
にゃも
あぁ、IKIIKIゲストハウス知ってるよ。世の中狭いね~。笑
ボランティアの人たちによって建てられたカンボジアのIKIIKIゲストハウス

画像引用:IKIIKIゲストハウス

再び、マレーシアへ

さおりさん
さおりさん
だけど、もちろん人材派遣会社にマレーシアの仕事を探してもらっていて、仕事のポストが見つかって、マレーシアに帰ったわ。昔のシャングリラホテルの常連の人たちと仕事をしたり、商社・政府とやりとりして、翻訳や通訳・日本人のアテンドなんでもやった。ガクトとも仕事できて嬉しかった。笑
ガクトさん、かっこよかったですよ~
にゃも
にゃも
すごいね~。サクセスストーリーを聞いてるみたい。

 

さおりさん
さおりさん
だけど、給料の支払いがすっごく遅くて、1ヶ月遅れたり、2ヶ月遅れたり・・・。

 

にゃも
にゃも
あぁ、会社のお金がまわってなかったんだね・・・。

 

さおりさん